





今帰仁村は、沖縄本島北部、本部半島の北東部(北緯26°40′43″、東経127°58′29″)に位置し、那覇市から北へ約85km。東から東南部にかけては名護市、南西部から西は本部町、北は東シナ海に面し北東約1.5kmには古宇利島があります。
《今帰仁村の地勢》
村の南側は、乙羽岳(標高約275m)を中心に、山並みがほぼ東西に延びています。その山麓から北および東に向かって緩傾斜地となり、さらに平坦地が広がり、耕作地は集落を中心に広がっています。
村内の河川は、村の中央部を呉我山から仲宗根を通り東シナ海へと注ぐ大井川(二級河川)と今帰仁城跡の東側を流れる志慶真川(普通河川)があります。その外に四本の普通河川があり、いずれも南から北方向へと流れ東シナ海へと注いでいます。
《今帰仁村の歴史》
「今帰仁」のことを古くはオモロや辞令書で「みやきせん」とうたわれ、また『海東諸国紀』(1471年)には、「伊麻寄時利」と記され、近世になって「今帰仁」と表記されるようになります。今帰仁の面する領域は、1666年以前は現在の本部町を含む本部半島の大半を占める大規模な間切(今の村)でした。しかし、1665年に第二監守時代の監守が首里に引き上げると、翌年に今帰仁間切は今帰仁と伊野波(本部)の二つの間切に分割され、ほぼ現在の規模となりました。
今帰仁間切の番所(後に役場と改称)は運天港に所在し、大正5年に仲宗根に移転しました。間切には地頭代をはじめ総耕作当や夫地頭や首里大屋子や掟などの役職がありました。間切の長は、地頭代、間切長、さらに村長へと改称され現在に至っています。 *今帰仁村役場のホームページより索引
《フクギ並木の光と影の古民家 不思議なデシャブ体験》
フクギ並木と言えば、本部の備瀬が有名だが、ここ今帰仁の今泊のフクギ並木も備瀬とは違った趣があります。今帰仁村は、冬場は北からの季節風が強い地域。特に、この今泊地区は、海に面しているので防風林として昔からフクギを民家の周りにたくさん植えておりました。それが、やがて年月がたち、大きく10mほどにも育っているのであります。まっすぐに伸びた肉厚の楕円の丸味を帯びた葉は濃い緑の塊となって風の抵抗になっており、その様は、どんなコンクリートの壁よりも強く、たくましく目に映るのであります。
本部半島は、またカルスト台地でも有名であり、名護以北の民家の屋根は赤瓦の代わりにセメント瓦を使っていることが多いのです。軒の低い独特な沖縄の民家のセメント瓦とフクギのある風景の中を散策すると、ふとデジャブ(白昼夢)な感覚に襲われることがあります。これを映画監督の高嶺剛は「オキナワンチルダイ」と言っております。こんなノスタルジックな世界に引き込まれる今帰仁村は、我々の失ったないかを呼び起こしてくれそうな、そんな不思議な場所なのです。